「ブランマリクロ」を展開するフェデリーギ家のお話、前回に続くパート2です。
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第2章は、【二代目Enrico Federighiのお話】1932-1964年
Federighi1926社創立者の息子エンリコ・フェデリーギは、父がアメリカで宿泊施設を経営していた時期の1912年、アメリカ・カリフォルニア州Stirling Cityで生まれました。
彼もまた、父親譲りの長身と整った顔立ちを持った男性(写真を見ると、お父さんより今の時代にいそうな人ですね、、)で、1932年、20歳の時に父と兄(エンリコの叔父)が1926年にピサで立ち上げたファブリックの製造事業を継承することになります。
そして、イタリアとアメリカの間を行き来する生活を送っていました。
当時の彼が書いた手紙が残っています。
『僕の今の想いが過去を覆い隠し、今のあなたに対する愛が、僕を過去とは違う人間にしているように思える..』
イタリアで出会った彼女(後の妻)に向けた手紙ですが、情熱的な男性であったことが想像できます(これイタリア人の基本、パッションですね)。現代のデジタル時代ではメッセージは1秒で消え他人の個人的な文章を読むことなど先ずないですが、この時代は手紙が想い出箱に残され、100年近く経った今、私たちが彼の文章を読めることって素敵だなと思ってしまいました。。。プライバシーに立ち入っていますが😅
時は過ぎ、戦後すぐの1945年、エンリコはイタリア・ピサで最初の事業所を購入します。
都市は大規模な爆撃に合い回復に困難をきたし、 貿易は止まり、商店は閉鎖されたままでした。
そのような状況の中、エンリコは閉鎖されたお店の1つを買い取り、方言でpannineと呼ばれる、カットされたファブリックやワックス掛けしたラグを販売するお店を始めたのです。
因みに、70年代のイタリアでは巻物の生地が販売されているのみで、家庭用のリネン製品や衣類のパッケージ品は殆どなく、布地関連が買えるお店は裁縫用品店かPannineのみだったそうです。
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1926年創業のFederighi社が第二次世界大戦を乗り切った企業であることは明らかですが、このエンリコのチャレンジ精神が、会社を戦後の事業再開へと繋いだのですね。
厳しい社会状況下で、先を見据えて投資をする。。当然ながらチャレンジなくして成功も訪れないですが、簡単な決心ではありませんよね、、エンリコは度胸のある男性だったことは間違いないです!
次回は、エンリコの息子、ロビーのお話を書きたいと思います。ロビーはどんな人なのでしょうか。
お楽しみに。
筆者: グラマシー株式会社 ブランマリクロ運営事業部
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